ピンチをチャンスに。
次の100年を見据える
「出会いの酒屋」。

発知商店 角打ちリカーホッチ専務取締役
利酒師(SSI)認定
発知稔貴さん インタビュー

コロナは人と人の物理的な距離は離してしまったかもしれません。しかし、心と心は近づけたのではないか。そう思うことが少なくありません。

「コロナがなければ出会わなかった人がいます」。そう語るのは、「ほっちさん」の愛称で親しまれる創業100余年の酒屋・発知商店の若き5代目・発知稔貴さん。店内でお酒の試し飲みができる「角打ち」や「ビールサーバーの貸し出し」など、これまでになかったサービスを打ち出し、出会いの駅おかざきが主催する「出会いの岡崎駅ナカ横丁」でも中心的役割を担う地域のキーマンです。

飲食店の経営に大きな影を落としたコロナ。飲食店が卸先である酒屋だって苦境に立たされているはず。それでも発知さんは「ピンチはチャンス」と笑います。そんな発知さんはなぜ前向きに新しいことに取り組み、地域の活性化に奔走するのか。その胸の内に迫ります。

お酒に囲まれて育った幼少期

JR岡崎駅から東へ500m。茶色い壁に「リカーホッチ」の文字が映える建物を横目に左へ折れたところに、発知商店さんはあります。酒蔵をイメージした店内に一歩足を踏み入れると、棚に整然とならぶ多種多様なお酒が目に飛び込んできます。カウンター席やテラス席が設けられており、気になったお酒を試し飲みできる「角打ち」が人気のまちの酒屋さんです。

「いらっしゃいませ」と柔和な笑顔をたたえて迎えてくれるのが、発知稔貴さん。創業100年を機に発知商店を継いだ若き5代目です。4代目である父・良介さんの修業先だった広島で生まれ、1歳のときに岡崎へ。

物心ついた頃にはお酒に囲まれた生活。酒屋の息子であることを自然に受け入れ育った発知さん。ただ、当然ながら当時はまだ「継ぎたいという想いはなかった」と言います。その想いに変化があらわれたのは、大学3年生で進路を模索し始めたときでした。

「就職活動のときに酒屋だ、と思ったんですよね。化学系の大学で食品の研究をしていたにもかかわらず、こうして小売りにたどり着いたのは、やっぱりこの店があったからなんだと思います。心のどこかではずっと、自分で店をやりたいと思っていたのかもしれませんね」。

そんな想いに突き動かされ、大学卒業後、東京での修業を経て岡崎へ戻り、創業100年を機に5代目として歩みはじめました。

お客様目線でのサービスを

店を継いでから、現在取り組んでいる「角打ち」や「ビールサーバーの貸し出し」、「置き配」など、これまでになかったサービスを次々と打ち出していった発知さん。

その背景には、修業先の東京の酒屋で目の当たりにした、時代の変化に翻弄される業界の現実があったと言います。

「お酒を取り巻く環境が厳しくなっていくのを感じましたね。お酒を飲む人が減って、大手のディスカウントストアやドラッグストアなんかでも安売りをするようになって。ちいさな酒屋は価格競争では太刀打ちできませんから。」

そんななか、東京の酒屋で広がっていたのが「角打ち」。発祥は北九州で、工業地帯で働く人たちが夜勤明けに朝からやっている酒屋へ行き、買ったお酒を店先で飲むようになったことで生まれた文化だそう。

もちろん、導入したのはただ流行っていたからではありません。消費者目線で見ても、角打ちは理にかなっているのだそう。さまざまな趣向が凝らされたボトルやラベル。しかし、それを眺めるだけではお酒の味はわかりません。安価なものならそれでもいいかもしれない。ただ、少なくとも高価なものにはなかなか手が出ません。

そんな現状を解消できるサービスをと考えで「角打ち」に至ったのだそう。岡崎ではめずらしいその取り組みは新聞などにも取り上げられ、「ほっちさん=角打ち」というイメージが確立されつつあります。

人に、お酒に、出会う酒屋

すっかり定着したように見える「ほっちさんの角打ち」。その魅力はどこにあるのでしょうか。

「あまりクサいことは言いたくないですが(笑)、“人ともお酒ともつながれる”ところでしょうか。小売店って買って終わりのところが多いですが、自ずと『これは、こういうお酒ですよ」って話すことが多くなりますし、隣で飲んでる人との会話も増えますし。ちょっとかっこよく言うと人と人との出会いも、お酒との出会いもある“出会いの酒屋さん”ですかね。』

「いくらですか?」「○○円です」というやりとりだけでは済ませたくないと語る発知さん。お酒の魅力を自分の口から伝え「辛口好きのお父さんに贈るお酒はどれがいいですか」というご相談に最適なものをご提案できる、価格以上の価値を感じていただける存在でありたいと言います。

そのために全国の酒蔵へ足を運んだり、自身で味を確かめてみたりと日々の研究には熱が入ります。インターネットで調べても出てこない、プロならではの知識や提案に価値を感じてくださるお客様との一人でも多くの“出会い”を待ち望んでいます。

もう一度「人が集まるまち」へ

そんな発知さんは今、出会いの駅おかざきが主催する「出会いの岡崎駅ナカ横丁」でも出店者を取りまとめるなど中心的な役割を担っています。そのきっかけになったのは、昔と今を比較したときの岡崎駅前のまちの変化。

「この数十年で“人が集まるまち”から、“住むまち”に変わりました。昔は“のんき横丁”という飲み屋街など、人が集まる娯楽のお店が多かったんです。お酒は、心にゆとりを生みます。お酒のある場所は華やかになり、ぱぁっと明るくなります。もっと言えば、そんな時間が積み重なることで、人生を豊かにするとも考えています。もう一度、このまちにそんな機会を増やすために。どうすれば人が集まるかと考えたときに今の取り組みが生まれました」。

その発想の基になっているのは「今あるものをどう活かすか」という考え方。大きな商業施設を建てる予算も、大企業を誘致するようなコネクションもない。たとえ、発知商店さんが多店舗展開したとしても「まちを元気にする」という目的には届かない。

だったら、と考えたのが「今あるものをつなぎ合わせる」こと。岡崎駅前には、公園があり、長年つづくお店があり、昔ながらの横のつながりがあり、新しいコミュニティがあります。それらをつなぎ合わせ、例えば公園でイベントをすれば人が集まるはず。「今あるものを活かして岡崎駅を盛り上げるには、この形かなと思って」と発知さんは笑います。

次世代のための土台を築きたい

実際、駅ナカ横丁には多くの人が訪れるようになってきているほか、横丁きっかけで店の存在を知ったお客様が、後日店舗へ足を運んでくださることもあるそう。一般のお客様だけでなく出店者同士が意気投合し、取引先になるケースも生まれているそうです。

「飲食店さん同士でコラボがあったり、例えば器を作ってるようなお店が出店してくれ、飲食店の方の目に留まり「その器、うちの雰囲気に合いそうだわ」みたいな感じになったりしても面白いですよね。いろいろな可能性はあると思うので、そういう商売の見本市みたいな形でお客様にアプローチしつつ、結果、岡崎駅周辺が住みやすく、商売もしやすい、人が集まるまちになるといいなと思いますね。」

現在は平日のみの開催となる駅ナカ横丁。いずれは土日も含め規模を拡大したいと発知さんは言います。まちを元気にしながら目指すのは、次世代のための「土台」づくり。人の流れをつくることで今後岡崎駅前に根を張って商売をしようとする人たちが、試しに出店したり周知を図ったりする場所になればいいとのこと。「そのために、今は出店してくれた人に“出てよかった”と思ってもらえるようにすること。何事もまずは一歩一歩ですね。」

次の100年へ向けて

そんな発知さんが今後挑戦していきたいのは「このお店をもう100年続けていくこと」。しかし、意外にも「お酒」には固執していないのだそう。

「もちろん、発知商店のルーツはお酒にあります。でも、大きな視点に立てば、嗜好品であるお酒の価値は“人を楽しませる”こと。それが、発知商店の存在意義でもあると思うんです。だから、発知商店を、会社を、そういうふうにしていきたいなと思います。」

コロナ禍にあっても、自身の店や地域について前向きに語る発知さん。最後に、その原動力に尋ねてみると次のような答えが返ってきました。

「駅ナカ横丁と同じように、ないものを考えててもしょうがないなとは思うんです。あるものの中でどううまくやっていくか。ピンチはチャンス。コロナじゃなかったらイベントもなかったでしょうし、新しいつながりも生まれなかったと思います。コロナもけっして悪いことばっかりではなかったかなぁと思うようにしています。何かしらやれることはあるはずですから。」

目の前にある、一見悪いように見える出来事も、見方を変えれば良い面が見えてくる。それはきっと、人も、お店も、地域もおなじ。そう信じる人のところに、人は集まるのかもしれません。

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